They’re Playing His Song……R.I.P. Marvin Hamlisch

1973年シングルとしてリリース、翌’74年総合のベストセラーとなる“The Way We Were”と、ついでヒットを果たした“The Entertainer”で、彼の名は心にしっかりと刻まれました。

唯一無二珠玉のラヴソングをつくった人。

そしてまた、スコット・ジョプリンがそのオリジナル曲を生み落としてから、当時既に70年の時を経ていたラグタイムを絶妙な編曲で蘇生しえた人として。

マーヴィン・ハムリッシュ。

EGOT、つまりエミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、そしてトニー賞というアメリカン・ショウビジネスの4大賞典のすべてを獲るグランドスラムを果たした11人の1人(あまつさえピュリッツァー賞までも得たのは彼とリチャード・ロジャーズしかいません)としてよく讃えられます。正しくそんな不世出のコンポーザーでした。

ニューヨークで生まれて、ロスアンジェルスで没す……それがいかなる音楽的人生を歩んだかという道のりそのものを示しています。

本格的な初仕事は、同じニューヨーク生まれのスーパースター、バーブラ・ストライザンドの出世作となる1964年上演のブロードウェイ・ミュージカル“Funny Girl”のリハーサル・ピアニスト。そして10年程後彼女と再びまみえて生まれたその主演米映画“The Way We Were”のテーマ・ソングが、グラミー/オスカーの両賞同時獲得へ結びつくマルチ・ミリオンセラー・ヒットとなったのです。時をほぼ同じくし、自らパフォーマンスもした、米映画“The Sting”のテーマ・ソング“The Entertainer”も、グラミー新人賞を獲るミリオンセラー・ヒットとなり、彼の名も高みへとのし上がりました。

むろん、ピュリッツァー/トニー賞獲得へとつながった、1975年のブロードウェイ・ミュージカル“A Chorus Line”も忘れられません。ミュージカル・ディレクター、アレンジャー、コンダクターとして、音楽界へもたらしたものも少なくありませんでした。1994年のツアーを司り、TVスペシャル・プログラムとしてまとめたエミー賞獲得作品“Barbra Streisand : The Concert”も然り。

それにしても、“The Way We Were”……ピアノが紡ぐテーマをバックに、たとえばその詞をしみじみ語るだけでも‘歌’になるという。そんな曲、そうはありません。真にラヴソングの極み。愛と憎しみを始め、喜怒哀楽等人間の営みをすべて‘音’に変えてしまう、マジシャンの様なミュージシャンでした。

Marvin Frederick Hamlisch (1944.6.2 New York – 2012.8.6 Los Angeles)

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