MOTOWN

Record Makers’ Rhapsody

vol.4 MOTOWN

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栄えある制作第1弾作品は、マーヴ・ジョンソンの「カム・トゥ・ミー」(TAMLA101)でした。しかしこれは、一部地域除く全米的配給を担うユナイテッド・アーティスツの下でリリースとなります。続くヒット、バーレット・ストロングの「マネー」も、まずは既に姉たちがつくっていたファミリーレーベルANNAからのものに(すぐにタムラからもリリースしてはいますが)。そしてモータウン創成期のエース、スモーキー・ロビンソンが司るグループ、ザ・ミラクルズの「バッド・ガール」がつくられますが、これも未だタムラからとはならず、チェスからのものになります。本拠地となる自動車工業の街、”Motor City”デトロイトにちなんで名づけられたMOTOWN(Motor Town)レーベルも依然始動前でした。

そんな下請制作状況に終止符を打ち、レコード・メイカー“モータウン・コーポレイション”が本格的な第1歩を記すのは、1960年。スモーキーのバンド、ミラクルズのタムラ制作配給盤「ウェイ・オーヴァー・ゼアー」からでした。同年暮れ、ホントはストロングのためにつくった曲「ショップ・アラウンド」をミラクルズが歌い、翌’61年、最高第2位に輝く初のビッグ・ヒットに。計7曲のトップ10ヒットの第1弾となるこのヒットを機に、モータウンの快進撃も始まったのです。

まずはメアリー・ウェルズ。そもそもはジャッキー・ウィルソンに歌ってもらおうとつくってきた曲をべリーに認められ、しかも彼女自ら歌うようにいわれて、’60年の終わりにモータウンへ。猶彼女は初め、ミラクルズと同じタムラのアーティストになれると喜んだが、モータウンと聞いてがっかりしたそうな。とはいえその後、同レーベル初のスターとして23曲のポップ・ヒットを放ち、後に続くスター予備軍、とくに女性陣の目標的存在となります。そしてその女性陣、ガールズ・グループとしてモータウン初のスターになったのが、マーヴェレッツ。’61年、ビートルズ等のカヴァーでもおなじみの「プリーズ・ミスター・ポストマン」のオリジナル・ヒットと共にセンセイショナルに現れます。ちなみにこれは、タムラ=モータウン初のNo.1ヒットでした。<つづく>

1959-’61 “MOTOWN” Top 100 Hits

’59
Come To Me MARV JOHNSON <30> United Artists160 / Tamla101
Bad Girl THE MIRACLES <93> Chess1734

’60
Money BARRETT STRONG <23> Anna1111 / Tamla54027
Way Over There THE MIRACLES <’62-94> Tamla54028 / 54069(’62)
Shop Around THE MIRACLES <2> Tamla54034

’61
Bye Bye Baby MARY WELLS <45> Motown1003
Ain’t It Baby THE MIRACLES <49> Tamla54036
Mighty Good Lovin’ / Broken Hearted  THE MIRACLES <51/97> Tamla54044
I Don’t Want To Take Chance MARY WELLS <33> Motown1011
Please Mr. Postman THE MARVELETTES <1> Tamla54046
Everybody’s Gotta Pay Some Dues THE MIRACLES <52> Tamla54048

*’59年のヒットは、参考例として。マーヴ・ジョンソンはベリー・ゴーディーと組み、事実上9曲のヒットを飛ばしていますが、表記上モータウン系列作品外となります。
*< >内数字は、米Billboard HOT100の最高位
*”Way Over There” は、’60年発売当初登場無く、’62年の再発売で初エントリー

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