いつだって、そしていつまでも、ずっと踊りつづけられる、そんな”晴れ”の場を作るのが、ディスクジョッキー……DJのシゴト。ウェアハウスがダンス・クラブとなってから、正に”ハウス”はダンスの”ホーム”となるべくカタチづくられて来ました。そしてそのキメテとなるアトモスフィアは、DJのセンスにゆだねられたのです。
彼の”ハウス”で躍る人は幸せだったと想います。いつもほっとするような何かしら温かいものに包まれていました。
フランキー・ナックルズ。
ブロンクス生まれの彼はティーンズの頃、ニューヨークでDJを始めます。そして1977年、シカゴでウェアハウス・クラブが始まった時、御当地でプレイするために招かれて、ハウス・ミュージック・ヒストリーの創世神話渦中の人となったのです。かくて”The Godfather Of House Music”は生まれました。
やがてDJのみならず、リミクサー、そしてプロデューサーとしてもその存在感を示すようになります。リサ・スタンスフィールドの”Change”、ルーサー・ヴァンドロスの”Power Of Love/Love Power”、シャカ・カーンの”Ain’t Nobody”、スウィング・アウト・シスターの”Notgonnachange”、ペット・ショップ・ボーイズの”Left To My Own Devices”、ジャネット・ジャクソンの”Because Of Love”、ダイアナ・ロスの”Love Hangover”、トニー・ブラクストンの”Unbreak My Heart”、ゲイブリエルの”Sunshine”、ホイットニー・ヒューストンの”Million Dollar Bill”、デペッシュ・モードの”Wrong”、マイケル・ジャクソンの”You Are Not Alone”等、彼の携わったものにはどれもしなやかな愛の光が見てとれました。
ヴィデオクリップを見るとまるで只のファンとして楽しんでいるとしか想えない、彼本人のヒット”The Whistle Song”も然り。
“ハウスの神”……正にそう讃えられるべきミュージック・ラヴァーそのものでした。
Frank Warren Knuckles, Jr. <Frankie Knuckles> (1955.1.18 New York City – 2014.3.31 Chicago)