HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽“洋”語辞典
BRIT Awards
“BRIT Awards”(ブリットアウォーズ)、または”Brits”ともいわれる音楽賞。
“BRIT”はそもそも”British”、”Britain”、”Britannia”などの略としてつけられましたが、後に”British Record Industry Trust”(英国録音産業信託団体)が当てられています。
第1回は、1977年。エリザベス2世女王即位25年記念式典の1プログラム”British Record Industry Britannia Centenary Awards”として、ウェンブリー・カンファレンスセンターで行われました。それゆえその賞は今のようなすべて前年作品群を賞するものじゃなく。クリフ・リチャードが英国人男性アーティスト部門賞、シャーリー・バッシーが同女性部門賞、プロコル・ハルムがシングル賞(A Whiter Shade Of Pale)を獲るなど、永年勲章的な意味合いをもつものでした。最もスポットライトの当たったのはむろん、ザ・ビートルズ。アルバム(Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band)/グループ両部門賞獲得を果たした外、ジョージ・マーティンにプロデューサー賞を獲らしめ、あまつさえスーパースターとサインし、世に出したという点を讃え、”優秀貢献賞”なるものが、EMI/BPIのチェアマンともなった”VIP”L.G.ウッドへ贈られています。
今や、1,000人のBPIアカデミー選出会員投票で決められますが、第1回は85人……それも、実際票を投じたのはわずか42人だったそうです。まァ、始まりってのはそんなものですよね。
しかしそのまま続く事も無く、米グラミー賞をそのモデルとして、British Phonographic Industry(BPI : 英国録音産業協会)の催す、本格的な年間大衆音楽賞”British Record Industry Awards(BPI Awards)”として始まったのは、1982年。ソフト・セルの”Tainted Love”がシングル賞獲得を果たしています。
当初業界内輪の音楽賞だったものが、BBC-TVのオンエアーと絡み、ショウ・アップが始まったのは、1987年。ピーター・ゲイブリエル、ダイアー・ストレイツ、ペット・ショップ・ボーイズ等が賞を獲り、エリック・クラプトンが讃えられるもようがファンの目にもふれました。
翌’88年、セレモニーの場もそれまでのグロスヴェナー・ハウス・ホテルをロイヤル・アルバート・ホールへ移し、ショウはよりパワー・アップしています(1990年以降、ドミニオン・シアター、オデオン・ハマースミス、アレクサンドラ・パレス、アールズ・コート、ロンドン・アリーナ……それからまたアールズ・コートで10年間行われた後、O2アリーナへ移る)。
はじめ、ポリグラム系の音楽通販会社ブリタニア・ミュージック・クラブがスポンサーとなりましたが、やがてマスターカードがその役わりをつとめるようになりました。
賞は、英国人部門と外国人部門で男・女・バンドのアクト賞などがそれぞれ決められます。英国人部門は、外にシングル、アルバム、ヴィデオ、そして出世賞のようなものから、プロデューサー、評論家選奨みたいなものまで。国際的成功を讃えるものとか、ライヴ賞、優秀貢献賞がつくられたりもします。10部門強と多くはありません。尚、クラシック系のそれもべつに設けられています。
同じ英語圏のそれながら、ジャイアントな米グラミーアウォーズといくぶん異なったフィーリングを醸し出しているのがいいですね……多少小じんまりとはしているものの、外のほとんどの国の同系統のセレモニーの如くいかにもBクラスふうなムードも無く。大英帝国的な誇り……でしょうか。
