1963年の本日付Billboard HOT 100のトップを飾ってしまった、坂本九の”Sukiyaki”。そんな記念日を祝し、かつて当ブログの”Eternal Songs Kaleidoscope”でしたためたものを再掲載いたしましょう。
我が国の国民的愛唱歌にして、全世界で最も良く知られる日本人のポピュラー・ソング”Sukiyaki”。2011.3.11の震災後、世界中からの励ましのメッセージと共にこの歌がそえられるケイスも多くみられました。
というわけで、辿ってみましょう、”Sukiyaki”ヒットの旅物語。
それは、我が国のTV史の曙を彩る伝説的音楽番組『夢であいましょう』(NHK)を出発点として始まりました。同番組の呼び物の一つだったのが、永六輔作詞&中村八大作曲という、”日本レコード大賞”第1回大賞コンビによる月ごとの書き下ろしのオリジナル・ソング。そしてその1曲として、1961年の10月と11月、坂本九の歌でつづられたのが、”Sukiyaki”……もとい、オリジナル・タイトル「上を向いて歩こう」でした。”ウヘ ウォ ムフィヒテ アハル コゥウォウォウォ”という独特の節回しなど新鮮味も感じられ、大好評(ちなみにこの歌い方、永六輔は妙に西洋音楽被れしたものと当初忌み嫌いましたが、実は坂本九の母のやっていた小唄系の流れをくむものでもある由、私がインタヴューをした際、語っていらっしゃいました。尚、最後部を引き延ばしたのは中村八大発案のものらしいです)。2ヵ月連続で歌われるという、番組で唯一の”今月のうた”となりました。当然彼にとってもトップ・スターダムへのしあがるビッグ・ヒットとなっています。
坂本九は、1941年12月10日、川崎生まれの我が国有数のポピュラー・ヴォーカリスト。ダニー飯田とパラダイス・キングの一員として頭角を現し、17歳でレコード・デビュー、’60年に初ヒットを放っています。ソロ・シンガーとして出世作にもなったこの曲のほかにも、’63年の日本レコード大賞の作曲賞受賞曲「見上げてごらん夜の星を」等々、ヒットは多数。映画出演等も多く、気さくなキャラクターでTVショウのホストなども務め、一時期はTV7本、ラジオ2本のレギュラーを持つ国民的スターでした。’85年8月12日、飛行機事故に遭い、43歳にしてこの世を去りましたが、残された歌は今もなお愛されています。
んでもって1961~’62年、我が国でビッグ・ヒットを果たしたこの曲を、折しもその時、来日中の英パイ・レコーズ社代表ルイス・ベンジャミンが耳にしたのが、”Sukiyaki”ワールド・ツアーの第1幕。何かハートに触れるものがあったんでしょうね。帰国早々同曲を英人気ジャズ・バンド、ケニー・ボール&ヒズ・ジャズメンでレコーディング。ただし、”Ue O Muite Arukou(I Look Up When I Walk)”そのままでは、ラジオのディスク・ジョッキーが覚え辛い上発音しにくいからと、短く、キャッチーで、欧米人に最も親しみのある日本語”Sukiyaki”とタイトルがつけられます(ちなみにこのタイトル変え、後にニューズウィークに、それは「ムーン・リヴァー」を「ビーフ・シチュー」にするようなものだと叩かれました)。でそのシングルが、’63年早々、英ヒットチャートのトップ10に輝いてしまったのです。日本人のつくった曲としてはもちろん初めての大快挙。これが第2幕ですね。
そして第3幕、米ワシントン州パスコのラジオKORDのDJリッチ・オズボーン(異説有り)が偶然坂本九のオリジナル・ヴォーカル盤(リスナーの高校生が日本人のペンフレンドからもらったと送ってきたものだとか)をオンエアーしてみたら、米国人からも大反響。米キャピトル・レコーズがリリースするや、忽ちヒットチャートを急上昇し、ついに’63年6月15日付米Billboardのランキングで、レスリー・ゴアの「涙のバースデイ・パーティー(It’s My Party)」を下し、日本語作品として史上初のNo.1へ。3週間第1位をキープし、あまつさえミリオンセラーも果たしてしまったのです(英ヒットチャートも最高第6位にランク)。永六輔作詞、中村八大作曲、坂本九歌唱、通称六八九トリオによる、NHKのTVショウ『夢であいましょう』の歌「上を向いて歩こう」が日本人初、空前絶後の世界制覇をなしとげた、正にその時でした。
というわけで、空前絶後、日本人初の世界制覇となる”Sukiyaki”のヒット。今よりもずっとシングル・レコードが売れ、今よりもずっとBillboardのNo.1が重く、今よりもずっと米国人に日本人が知られていない頃の出来事だったため、正に大事件でした。
尚、同曲含むアルバム”Sukiyaki And Other Japanese Hits”も、アルバム・チャートで最高第14位にランク。今の様にシングルが売れたらアルバムも売れるみたいな流れがそれほどなかった時、坂本九と共に日本音楽自体にスポットライトが当たったことを示しています。
当時彼は日本人のクルーナー、つまりどちらかというと感傷的な曲をしんみりと唱うとか、ロマンティックな曲を甘く唱ったりするポピュラー・スタンダード系のシンガーとしてみられるかたわら(アダルト・コンテンポラリー系ランキングもNo.1)、R&B系ランキングで最高第18位になるなど、ふってわいたような日本人ニューカマーのブレイクアウトにとまどいつつも、幅広い支持を獲得。要するにとてつもないブームを呼んだことがみてとれます。もうひとつの米音楽業界紙Cash Boxにおいても4週連続No.1をマーク、ナット・キング・コールと共にその第1面を飾り、正にトップ・スター並のブレイクアウトを果たした彼。第2弾”China Nights”(Shina No Yoru)も、最高第58位の小ヒット、イッパツヤのそしりも免れます。
“Sukiyaki”は、英米大ヒットにひっぱられ、マーティン・デニー、ビリー・ヴォーン、ヴェンチャーズ、ローレンス・ウェルク、カイ・ウィンディング、アール・グラント、ルシール・スター、クロード・ヴァラード(French : Sous Une Pluie D’étoiles)、ジュエル・エイケンス(My First Lonely Night)、ティッキー、ファビュラス・エコーズ(後のソサエティ・オブ・セヴン)、ダニエラ・メルクリ(日本語で!)、セシリオ&カポノら、世界中のアーティストがカヴァー。そして’81年、グラミー新人賞に輝く米黒人男女R&Bグループのテイスト・オブ・ハニーが無許諾の(ゆえにクレジットは永六輔)英語詞で歌い、最高第3位に輝くリヴァイヴァル・ヒットとなり、R&Bクラシックとして新たなる道を歩むことになります。’89年、ラテン音楽界のスーパースター、セレーナがそのアルバムでカヴァーし、シングルとして’90年リリース(English : I Shall Walk Looking Up, Spanish : Caminaré Mirando Arriba) 。’94年、米R&Bコーラス・グループ4P.M.のカヴァー・ヴァージョンが、翌’95年、再び最高第8位にランクされるヒットに。と、実際世界的なスタンダードとなったしだい。ホントに凄い曲なんですよね。
日本人の心の奥に棲む曲の一つといえるでしょう。
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