もしもコドモの頃、唱い始めるとしたら、ふつうまずファミリーで、となるでしょう。しかし、そっくりそのままブレイクアウトに結びつく事はそうありません。結びつくとしても、オトナになってから。しかし、稀にコドモのまま認められてしまうアクトも。
ザ・ファイヴ・ステアステップスもそう。クラレンスJr.を頭に、ジェイムズ、デニス、ケネスら4人兄弟(後にもう1人の弟キュービーも)と、姉のアロハらからなる、バーク・ファミリーのブラック・コーラス・グループがシカゴのミュージック・シーンにその姿を現わした時、みんな未だ小学生でした。全員揃っているとまるで1段1段階段が続いているようにみえたため、母親自らそう名づけたそうです。
BillboardのHOT100ヒットをマークしえたのが、1966年。依然未だハイスクール生以下の時でした。ゆえに、”The First Family Of Soul”といわれます。ザ・ジャクソン5がシーンを制す3年も前の出来事でした。
ファミリーらしいハートウォームなハーモニーで鳴らしていましたが、ロック・バンドふうな1面を示してみたりも。1970年、ザ・ビートルズのサイケデリックな珠玉作“Dear Prudence”をカヴァーしたものがFENで流れ、妙にエッジの立つその幻想的なソウルに、1発で惹かれたのを、今も鮮やかに想い出します。
そしてそのA面だった”O-o-h Child”。温かくて柔らかな灯が心の奥にふわっと点ります。正に、ファミリー・ソウルの会心作。十数曲のヒット曲の内、ミリオンセラーとなったのはそれ一つのみでしたが、いつまでも色褪無い曲として光り輝いています。
少々地味目ですが、正真正銘本格ファミリー・ソウルのエース・アクトだった、ザ・ファイヴ・ステアステップス。
クラレンスJr.は、そんなバンドのリード・ヴォーカリスト、かけがえのないフロントラインでした。はつらつと唱うようすが忘れられません。
R.I.P. Clarence Burke Jr. (1949.5.25 Chicago – 2013.5.26 Marietta)