R.I.P. “Pope Of Pop” Phil Ramone

ビリー・ジョエル、シカゴ、クインシー・ジョーンズ、サイモン&ガーファンクル、ブライアン・セッツァー・オーケストラ、シネイド・オコナー、シンディ・ローパー、ルチアーノ・パヴァロッティ、デイヴィッド・サンボーン、カーペンターズ、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、ロッド・スチュワート、トゥーツ・シールマンス、トニー・ベネット、バーブラ・ストラザンド、ライザ・ミネリ、フランク・シナトラ……そして、ジョン・F・ケネディ大統領の45歳の誕生日の祝賀会で唱われたマリリン・モンローの“Happy Birthday, Mr. President”までそのすべてを司れるというプロデューサーがどれほどいるでしょうか?

フィル・ラモーン。

サウスアフリカで生まれた彼は、3歳の頃からすでにヴァイオリンを始め、10歳の時にはなんと後の2世女王エリザベスの前で弾いたそうです。19歳の年、米国市民権を得て、25歳になる頃はもうニューヨーク・マンハッタンに独立系のレコーディングスタジオをもっていたのですから、正に音楽界の申し子といえるでしょう。

ジョン・コルトレーンの“Olé Coltrane”等のエンジニアリングでその音楽制作人生は始まっています。初のグラミー賞獲得を果たしたのは、エンジニアとして1964年(’63年制作)、ボサノヴァ・ジャズの伝説的作品“Getz/Gilberto”で。クリード・テイラーのプロデュースの下、米国人ジャズ・サクソフォニストのスタン・ゲッツが、ジョアン・ジルベルト、そしてアントニオ・カルロス・ジョビンらブラジリアン・ボサノヴァ・アクトとコラボレイションしたものとして知られています。レコーディングの際、突然唱いたいとわがままいったアストラッド・ジルベルトの唱う“The Girl From Ipanema”がヒットし、ボサノヴァ・ブームへとつながりました。

以来生涯同賞を計14箇獲得という正しくとてつもないプロデューサー/エンジニアとしてその名を永く轟かしていた……にもかかわらず、彼一流の得意技みたいなものをもっていません。オーケストレイションに強い、ライヴに強い、コラボレイションに強い、スターの卵を見い出すのがうまい、アーティストを育てるのがうまい、センスのいい選曲眼をもつ、レコーディング・テクニックに長けているなど、そういったものを。なぜでしょうか? すべてをまんべんなくもっていたからです。

彼が或る日、レコーディングスタジオへ来て行う事。まずはすでにセレクションをしていた曲の再編曲、ストリングスのスコアを作り、それに合うミュージシャンを配す。ヴォーカリストをコーチ。リズム・パートを少々正し、細くパフォーマンスのアドヴァイスを行う。集まった制作陣、またはミュージシャンがもつ不満の火種を解消したら、イコライザーを微調整。録音の機器・装備で新しいものを試し、技術的にうまくかみ合わないエンジニアを叱ったりもする。そのかたわら、緊張感が張りつめないよう、大統領祝賀会の想い出を話し、まわりをほっと和ませるのも忘れない。それも、アーティスト、セッション・ミュージシャン、スタッフ、スタジオのオーナー、セキュリティガード等、文字通りまわりすべての人をケアーするという。むろんその後、マスタリングもみて、プロモーションまですべてをしっかりやってのけてしまう。そんなプロデューサー、そうはいません。

私も、お話しした際の穏やかな佇まいが想い出に残っています。“Pope Of Pop”(ポップ・ミュージックの教皇的存在)と讃えられ、誰にでも好かれる人でした。

Philip “Phil” Ramone (1934.1.5 South Africa – 2013.3.30 New York, U.S.A.)

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