Variations On A Theme By Erik Satie / Blood, Sweat & Tears

Variations On A Theme By Erik Satie : Blood, Sweat & Tears 3

Eternal Songs Kaleidoscope 佳曲萬華鏡

Careful 14 : Variations On A Theme By Erik Satie / Blood, Sweat & Tears -3-

ドビュッシーがその第1番を第3番として、第3番を第1番と変え、第2番を無かったものとした管弦楽編曲演奏以降、殆ど陽の目を見る事の無かった“Trois Gymnopédies”が再び埃を払われたのは、変態実験音楽家ジョン・ケイジによる功績大といえるでしょう。サイケデリック’60sの暁闇頃からそれは顕なものとなります。サティのいわゆる“家具音楽志向”(意識的に聴かれる事を求めない生活埋没音楽)も再注目。いつしかその例としてとらえられるようにもなります(サティが此の曲をつくった時は未だ同志向を唱えていたわけではなかったにもかかわらず)。ただしそれはまだ極一部の尖鋭音楽家、マニア、音楽系学生の間で少々盛り上がったくらいのものでした。

しかし、そんな学び舎で揉まれたミュージシャンの1人が或る日、心の中に残るその曲をふと想い出す事もあるでしょう。そして、たまたまそれがスターダムへのし上がれるような光をもつバンドのレコーディングに関わっていた1人だったとしたら……。

斯くしてサティの“Trois Gymnopédies”の第1番と第2番をベースとする変奏曲“Variations On A Theme By Erik Satie”は、9人編成新生ブラッド・スウェット&ティアーズのアルバム“Blood, Sweat & Tears”に収められました。レコーディングは、1968年の秋10月9日。アレンジメントは、当時齢25歳のニューヨーカー、ディック・ハリガンが為しています。1stアルバム“Child Is Father To The Man”の時は1プレイヤーとしてトロンボーンに徹していましたが、バンドリーダーのアル・クーパーがいなくなってから、彼のパートだったキーボードを始め、フルートなども吹くかたわら、編曲等音楽作りにも積極的に携わるようになっていました。

アルバムのリリースは、同年暮れ。翌1969年初頭、Billboardのランキングにエントリーするやぐんぐんアップし、同年春No.1へ。不連続ながら計7週トップに立つベストセラーとなります。出来映えそのものも、グラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤーとして讃えられるほどのものでした。

サティの変奏曲はその冒頭曲(&最終曲)としてスポットライトを集め、ディックもまたそのプレイを讃えられ、同ベスト・コンテンポラリー・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞獲得を果たしています。

<つづく>

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