Variations On A Theme By Erik Satie / Blood, Sweat & Tears

Variations On A Theme By Erik Satie : Blood, Sweat & Tears 2

Eternal Songs Kaleidoscope 佳曲萬華鏡

Careful 14 : Variations On A Theme By Erik Satie / Blood, Sweat & Tears -2-

孤高異端夢幻のコンポーザー、エリック・アルフレッド・レスリー・サティは、1866年5月17日ノルマンディー、仏国北西部の小都市オンフルールで、彼が未だ幼い頃に亡くなる英国人の母、そして船舶仲買人を経てその後通訳となる仏国人の父の許に生まれました。巴里音楽院で学ぶのを嫌い、自ら志願兵となったものの、軍人的生活を営むのはもっと合わない事を悟り、無理矢理健康を害してやめるなど、ふらついて暮らしながらオトナになります。

21歳になろうかという頃、モンマルトルへ独り移り棲み、当時新鋭芸術のメッカだったキャバレー、シャ・ノワールにたむろするように。アンリ・リヴィエールの影絵幻灯劇に触れ、1発でその夢幻想世界にとらわれ、スペイン生まれの神秘主義詩人にして劇作家のJ.P.コンタミーヌ・ド・ラトゥールと共に、自ら関わるようにもなったとか。

“Trois Gymnopédies”をつくったのはその頃。1888年、楽曲作りにとりかかっています。

素になったのは、ウサンクサイ悪仲間コンタミーヌの詩“Les Antiques”。それは正に‘影’が絡む節で始まったラインが‘ジムノペディア’で締められるという流れをもつものでした。そのへんから、“ジムノペディ”という楽曲名が浮かんだのでしょう。いろいろな説が唱えられ、彼の想いがどのへんの意味合いをとっていたのかはわかりませんが、そもそもは古代紀ギリシャの1大都市国家スパルタの年次祝賀祭典で‘戦のダンス’を裸で踊る青年団の事をいったものだそうで。それが転じてたぶん、なんともいえないエキゾティシズムみたいなものを表したかったんじゃないかと言われています。

因みにそんなサティ、1887年の暮れ、シャ・ノワールに初訪問をした際、支配人に自ら‘ジムノペディスト’と名のっているんですよね。まァ、巫山戯たやつでしたが、それで頭に残ったというから、言ってみるものです。

“Trois Gymnopédies”は翌1888年初頭からとりかかり、同年春4月にはすべてが出来上がっています。しかし、すぐにはその傑作的真価が認められ、ヒットするまでにはいたらず。1897年、クロード・ドビュッシーがオーケストラ曲にしてスポットライトが一瞬当たったりもしましたが、広く世に知られるようになるのは、80年を経て、ブラッド・スウェット&ティアーズがアルバムの1曲としてレコーディングをするまで待たねばなりませんでした。

<つづく>

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