ほんの糞餓鬼の頃からずっとファンキーなソウル・ミュージックに違和感を感じなかった、っていうか、むしろ目が無かった私。そんな音が流れ出すやいなや、自律神経系が制御不能状態に陥り、体が踊り出してしまうんですから、しかたがありません。ディーヴァの赤裸々に豪速球な挑発振りには稀に少し萎えたりもしましたが、いつだって燃え滾る炎の歌に籠る愛に酔いしれたものです。
言うまでもないですが、ファンキー・ソウルのキング、ジェイムズ・ブラウンのファミリーにもそんないいヴォーカリストが多くみられました。
マーヴァ・ホイットニーもその1人。
オンナJBともいわれ、そうぞうしいきんきん聲でオトコの魂をわしづかみにする、正にパワフル/ワイルド/アバズレなシンガーでした。ジェイムズ・ブラウン・レヴューのヴォーカリストとなったのが、1967年。1969年、アイズリー・ブラザーズの“It’s Your Thing”のアンサー・ソングとして知られる“It’s My Thing (You Can’t Tell Me Who To Sock It To)”がわずかながらヒットを果たしています。2006年、我が国でオーサカ=モノレールと共演作を作り、同年夏と翌年夏来日ツアーも。いくつになってもそのファンキー魂は消えていませんでした。
とはいえその心の中は異なったものがあったとも。2006年、“We Funk Radio”のインタヴューで彼女自ら、ほんとうはソウル・ミュージックの道へなど進みたくなかったと語ってもいます。チャーチでそのままずっとゴスペルを唱っていたかったけれど、暮らしていくためには生まれた街カンザスシティにいてもどうにもならず、サインしたと……。もしかしたら品の無い歌を唱い倒しながらも、心にはずっと福音的なしらべが鳴り響いていたりしたのでしょうか。蓮っ葉な歌、パフォーマンスとしか言いようがないのに、嫌悪感を感じなかったのは、それゆえかもしれません。
やすらかにおねむりあれ。奇しくも、本日は御大の命日ですね。
R.I.P. Marva Whitney (Marva Ann Manning : 1944.5.1 – 2012.12.22)