R.I.P ……Terry Callier

アフリカン・アメリカン・ミュージックのメッカの一つ、シカゴに生まれた彼。幼くしてピアノを習い、やがてドゥワップ系のコーラス・グループで唱うようになります。幼なじみには、ジェリー・バトゥラー、カーティス・メイフィールド、メイジャー・ランスら、後のスーパースターがいたとか。しかし、バトゥラー、そしてメイフィールドのインプレッションズで唱う事も無く……。17歳にして、名伯楽チャールズ・ステップニーに認められ、黒人系音楽の御当地名門レコード・レーベル、チェスとサイン。シンガー・ソングライターとしてデビューするも、ついぞヒットに恵まれませんでした。1970年代入りしてからは、時を殆ど同じくしてかのアース・ウインド&ファイアーをスーパースターへ導くプロデュースに携わっていたステップニーの許で再挑戦、新感覚の‘ジャズ・フォーク’と讃えられたりもした意欲的作品をものしていたにも関わらず。ジョン・コルトレーンを愛し乍らジャズに深く傾く事も無く、ソウルとして決めつつ、フォーキッシュなフィーリングをもつ彼一流の音世界は、未だそのクロスオーヴァーぶりが‘生’っぽく、固まっていないとみられたのかもしれません。ジョージ・ベンソン、そしてギル・スコット・ヘロンらとのツアーは、ライヴゆえに、優しくほっとするような聲でしっとりつづる素のパフォーマンスがしっくりハマッたようですが。

とはいえその頃、バトゥラーの司るシカゴ・ソングライターズ・ワークショップに交わってつくった曲、“The Love We Had (Stays On My Mind)”がヒットを果たしたのです。私が彼の名を心に刻んだのもその曲でした。唱っていたのは、ザ・デルズ。シカゴ市近郊の大御所コーラス・グループがソウルフルに唱い、哀感漂うその曲にインパクトが与えられ、ヒットにつながったのでしょう。ともあれもとより曲自体よくなかったら、そうなるはずもなし。ドゥルー・ヒルを始め、ジョス・ストーンら、今に至るまでずっと唱い継ぐ人が後を絶たないのも証となります。1980年代末くらいから、英クラブ・シーンで再評価機運が高まったのもむべなるかな。今世紀になってからも、マッシヴ・アタックらとのコラボレイションを試みたりするなど、正に‘時’が来たかのような流れだったのですが……。

Terrence O. Callier (Terry Callier : 1945.5.24 Chicago – 2012.10.28 Chicago)

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