The King Of The One Hit Wonders?

A : The King Of The One Hit Wonders

イッパツヤのようでいて、イッパツヤじゃないのって、いったいだあれ?

……の答。

それは、トニー・バロウズでした。

1942年4月14日、英エクセター生まれのメイル・ポップ・ヴォーカリスト。ソロ・アクトとしてパフォーマンスし、レコーディングもしていますが、1960年代初めからセッション・ヴォーカリストとしていろいろなアクトをハシゴし、ビッグ・ヒットをもたらした事でよく知られています。まずはその前、音楽界の入り口となったのは、ザ・ケストレルズ。同コーラス・グループを共にしたのが、数年後にソングライターとしてその名を成す、ロジャー・グリーナウェイでした(彼とヒットメイカー・チームを組むロジャー・クックも後にフィーチャー)。ついでジ・アイヴィー・リーグに移り、やがてその流れから生まれたザ・フラワー・ポット・メン(ディープ・パープルのジョン・ロード等一時在籍のポップ・ロック・バンドとして知られてもいます)へ。1967年、彼らのたった1曲の英トップ10ヒットを生んだのです。

んでもっていよいよその時、1970年がやってまいります。トニー・マコーレイ等の作曲兼プロデュースでつくられたスタジオ・グループでセッションしていたらリードをとる事になってしまったエディソン・ライトハウス、ザ・フラワー・ポット・メンの改名再出発となるホワイト・プレインズ、グリーナウェイと一回限りジョーダンでつくったノヴェルティ・デュオのザ・ピプキンズ、そしてやはりグリーナウェイの絡みから唱う事となるザ・ブラザーフッド・オブ・マンの‘クイズ曲’それぞれのレコーディングで、彼はヴォーカルをとり、悉く英・米でビッグ・ヒットを果たしたのです。覆面被ったりはしなかったものの、ほとんどがレコーディング・セッションのみのヴォーカリスト。ラジオで毎日聴くその聲は知られているけれど、唱う人の顔はそれほど知られず。正に、陰のスーパースターそのものでした。

以後消えたかのように思われつつあった1974年、ビーチ・ボーイズのオマージュ・プロジェクトとして生まれたザ・ファースト・クラスで蘇ったのには心底吃驚仰天! しぶといなァと思いましたね。それも、上記幾つかのアクトで関わりのあるジョン・カーターの絡みからでしたが、依然覆面歌唱の初物成功神話は終わっていなかったと思えたものでした。

トニー・バロウズがヴォーカルとして携わった英・米トップ10ヒットのくわしいランク表は、コチラ。

Top 10 Hits As Sung By Tony Burrows

1967
Let’s Go To San Francisco / The Flower Pot Men #4 (UK)

1970
Love Grows (Where My Rosemary Goes) / Edison Lighthouse #1 (UK) | #5 (US)

My Baby Loves Lovin’ / White Plains #9 (UK) | #13 (US)

Gimme Dat Ding / The Pipkins #6 (UK) | #9 (US)

United We Stand / The Brotherhood Of Man #10 (UK) | #13 (US)

Julie Do Ya Love Me / White Plains #8 (UK)

1974
Beach Baby / The First Class #13 (UK) | #4 (US)

尚、ザ・ブラザーフッド・オブ・マンを除くすべてがOne Hit Wonders、つまりイッパツヤとよくいわれますが、ほんとうにほかに英・米で全くヒットがなかったのは、ザ・フラワー・ポット・メンと、そもそもが色もののノヴェルティ・ソングを唱う一時的レコーディング・アクトだったザ・ピプキンズくらい(そんな彼らでも、ほかにシングルをリリースしてはいますし、ヨーロッパでヒットしたりした事も)。後はそれほどたいして当たりませんでしたが、実はいずれもいくつかのヒットをもってはいます。

Let’s Go To San Francisco | The Flower Pot Men

<つづく>

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