R.I.P. Robin Gibb Of The Bee Gees

リリシズム溢れ、ロマンティックで、ちょっぴりセンティメンタル。そんなメロディーにふんわりのっかったデリケイトなヴィブラートが愛おしく心の襞に刻まれています。

1958年のオーストラリア在住時、兄バリー、そして彼よりも35分年下の弟モーリスと、ロビンがつくったギブ・ファミリーのボーイズ・グループ(初めてつけた名はラトルスネイクスだったとか)、後のビー・ジーズが、世界的なスターダムへのしあがるのは、帰英後の’67年の事。私にとっても通算13作目のシングルとなるその出世作“New York Mining Disaster 1941”が初体験でした。“To Love Somebody”、“Holiday”、“Massachusetts”と聴くうちにだんだん惹かれるようになり。“World”の時はもうシングルのリリース時予約をするまでになっていました。わずか1年にすら満たない間の出来事。当然次のアルバム“Idea”も即、買う事に。中学生のサイフからとしてはかなりイタイものがありましたが、止まりませんでした。

オーケストレイションが似つかわしい、ハイトーンの美しいしらべにのって、爽やかに彩られるヴォーカル・コンビネイション。ロック・バンドのカタチをとってはいましたが、ヤング・ブリティッシュ・ポップとでもいえるでしょうか。オーソドックスなポップ・ミュージックの路線上を歩んでいながら、一風変わったみずみずしい’何か’を醸し出していました。そのへんがユニークなグループとして映っていたのでしょう。そして、何はともあれその叙情的なメロディーに魅せられました。

“Lonely Days”……“How Can You Mend A Broken Heart”などで始まった’70年代初め、’77年の“Saturday Night Fever”サウンドトラックのモンスター・ヒットを核としたダンス・フィーヴァー時へとつながる間も、音楽性が変わったといわれながら、ドラマティックなポップという真髄的な軸はぶれていなかったと思います……始めから、ずっと。

そんな詞・曲を生み、歌ってくれていたのが、彼、ロビンでした。

Robin Hugh Gibb (1949.12.22 Isle Of Man – 2012.5.20 London)

やすらかにお眠りください。

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