Free “American Idol” !

Viewpoint : American ‘Idol’ As A Marionette?

またしても少しオクレて観ている”American Idol”の話。

それぞれが憧れ中のアーティストの曲を歌う回は、やはりみんなはつらつとしたパフォーマンスが見られました。当然彼らにとっては愛してやまないアイドルのレパートリー、ともなればふだんから口ずさんでいるような曲ですし。演出上、陰で歌う事を操られている感が強かった回と比べ、出来映えはうってかわって良くなっていました。まるで、オーディションが始まった頃の様に。

正にそう……実は、今季始まった頃は有望株ぞろいだなァと思っていたのです。それが、回を追う毎にしなびちゃって。しかしそのアーティスト・パワーの減衰に同回は歯止めがかかりました。そりゃそうですよね。好きこそもののじょうずなれ。みんなスーパー・アイドル・シンガーの卵ってくらいですから、どんな曲だって歌えといわれりゃ歌えます。けれど、いくら体裁整えても、心が向かねば魂も入らずで。30年現役で歌うヴェテランだって、同じ。ましてやまだその’卵’ですからね。歌が少しじょうずだからって、騙せるものじゃありません。’素’でヒドイものになるのもむべなるかな。ゆえに、それが自ら憧れ好む曲となったら、水を得た魚の如く良いパフォーマンスに結びつくのもまた必然的な流れだったという。ホストのライアン・シークレストすらそのように語っていたくらい。ただそれまでずっとパフォーマンスがスベリ続けていたがためにそう思えたのかもしれず。まァ、やっと通常の状態へ復帰したかなという感じでしょうか。

そして次の週、”’80sの曲を歌う”の回でその思いがぐっと増し、確かなものとなりました。ほとんどの’卵’にとっては、生まれた頃よりも少し古い曲。あまり合わない人もいるでしょう。しかし、前回同様候補曲は広範多岐大量なため、どうにでもなります。たとえばそう、或る’卵’の1人は、カヴァーしてのリヴァイヴァル・ヒットというテを使い、彼にしっくりハマル異年代のソウルを選んでいました。ジョシュアがピックアップをしたハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ’72年のフィリー・ソウル・クラシック”If You Don’t Know Me By Now”がそれ。英ロック・バンド、シンプリー・レッド’89年のリヴァイヴァル・ヒットを選んだとしながらも、彼らしくソウルフルに歌っていました。いつものように、何ら変わりもなく。数回前、”生まれた年の曲”の筈なのに、同回当日未だ20歳にもならなかった彼が、’66年の”When A Man Loves A Woman”を歌っていたのも「あれっ?」と思ったのですが、またしてもかと(マイケル・ボルトンのだとうそぶくのでしょうが、それにしても年がずれているし、当日審査員が口にしたオリジナルのパーシー・スレッジが褒めていたとか次の回で話したりもしちゃう、番組の全体が共犯)。けれど、いいのです。単にじょうずかどうかを競う喉自慢ならぬ、オリジナリティ重要視の’歌のコンテスト’ですからね。常にオリジナルを志し、毎回惑う事も無く堂々自然体で挑む、ジョシュア・レデット、フィリップ・フィリップス、コルトン・ディクソンは、それゆえにいつも良いパフォーマンスをしているわけで。

<つづくかも>

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