SuperStarsStory
1★The Monkees -1-
“MADNESS!! TVの新番粗で、フォーク&ロールのミュージシャン/シンガー役がつとめられる、4人の17~21歳の頭が変な男の子を求む……”
1965年9月9日のハリウッド・リポーター紙、翌10日のデイリー・ヴァラエティ紙上にあいついで掲載されたそのオーディション広告がすべての始まりでした。オーディションに集まったのは、437人。実は決まりかけたものの、歯が汚かったなどの容姿上の点で落とされてしまうスティーヴン・スティルスを始め、MFQの後ラヴィン・スプーンフルのメンバーとなるジェリー・イェスター、ポール・ウィリアムス、後にスリー・ドッグ・ナイトを組むダニー・ハットンらそうそうたる顔ぶれがそろっていたとか。結果選ばれた頭が変な男の子たちは……。”Oliver!”等のミュージカルでスポットライトを集め、レコード・シンガーとしてデビューもしていた、英マンチェスター生まれのデイヴィー・ジョーンズ。ミッキー・ブラドックとしてTVドラマ”Circus Boy”で11歳にしてスターダムへのしあがった後、ミッシング・リンクスというバンドでレコーディングもした、ロスアンジェルス生まれのミッキー・ドレンツ。大学在学中からすでにミュージシャンとなり、マイケル・ブレッシングの名でいくつかレコードも作ったことがある、ヒューストン生まれのマイケル・ネスミス。さらにグリニッヂ・ヴィレッジでフォーク・シンガー暮らしをしながらスティルスらとも親しくしていた、ワシントンDC生まれのピーター・トーク……ら4人でした。
そして’66年8月16日、デビュー・シングル”Last Train To Clarksville”がリリース。スーパー・アイドル・グループ、ザ・モンキーズが生まれたのです。9月12日放映開始のNBC系TVショウ”The Monkees”に一月先がけるレコード・デビューでした。そもそもがザ・ビートルズの映画作りなどをそのヒントに、米国生まれの対抗馬を作ろうというのが、製作陣のドン・カーシュナー、ボブ・レイフェルソン、バート・シュナイダー、およびコロンビア=スクリーン・ジェムス社の夢。ジョイントをしたRCAと、彼らのためにコルジェムスというレコード・レーベルを一つ作ってしまうくらい、”夢”は大きなものでした。
<つづく>
