HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典
Soul Train
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ディック・クラークの伝説的音楽番組”American Bandstand”でそのダンスを見たとき、黒人の少年ならもっとイカシたダンスが踊れると思い、黒人のアーティストは白人のアーティストよりずっといい音楽をつくっていると思い、黒人がホストだったなら白人のそれよりぐっとヒップに司会ができると思っていたとか。すなわちそれが彼、ドン・コーネリアスをして同番組をつくらしめたと。
かくてその”アフリカン・アメリカン・バンドスタンド”は、1970年8月17日、シカゴのWCIU-TVで産ぶ声を上げます。ベースになったのは、’65年につくられた”Red Hot And Blues”等の青少年ダンス系番組。そしてホストに大抜擢されたのが、WCIUと契約前、ラジオでニュースリーダー兼DJを務め、あまつさえシカゴのハイスクールでコンサートを催し、MCを司ってもいたコーネリアスでした。
第1回のゲストは、ジェリー・バトラー、ザ・シャイ・ライツ、ジ・エモーションズら。いずれもみな御当地シカゴにゆかりのあるトップ・スターと当時未だその予備軍ながら芽が出つつあったアクトで、なかなかの顔ぶれでした。
平日毎日午後に生放映されたそのショウは、思惑通りすぐさま大成功。そうなると欲が出てくるもので。コーネリアスとソウル・トレインのシンディケイト、番組制作集団は、それをシカゴの外へ売り出そうと企てます。
そして’71年10月2日、全国版が(といっても未だ7都市増えたに過ぎませんでしたが)オンエアー。シカゴでのそれとも当初同時進行でつくられます。
ちなみにその全国版の第1回、ゲストに迎えられたのは、トップ・スターのグラディス・ナイト&ザ・ピップスを始め、エディ・ケンドリックス、ミリオンセラー・ヒット連発中のザ・ハニー・コーン他、当然全国区の魅力的なラインアップでした。
程無く、コーネリアスは全国ヴァージョンに専念。全国区はもとより、全世界でその名を知られる様になります。’74年、前年以降延べ3年テーマ・ソングとして使われたフィラデルフィア・ソウル、MFSB・フィーチャリング・ザ・スリー・ディグリーズによる “TSOP (The Sound Of Philadelphia)”が、米BillboardでNo.1に輝くミリオンセラー・ヒットに。’87年にはとうとう”ソウル・トレイン・ミュージック・アウォーズ”なるものまで。自前音楽賞創設に至るほど、或る意味権威的なパワーをもちえます。
コーネリアスがレギュラー・ホストに終止符を打つのは、’93年。しかしその後も、ホストをたびたび替えつつ(FBIドラマ”クリミナル・マインド”の熱血捜査官などで知られるシェマー・ムーアも司る)続けられ、2006年3月25日、フィナーレを迎えます。
35年……1,117回。それはそのまま、テレヴィジョン史上初の、全国版シンディケイト系独立制作番組による、最長放映記録となりました。
ソウルを愛し、ヒット・ソングを楽しんで踊る姿が、やがて新たなるヒットを生み、新たなるスターを発し、新たなるブームを煽る……正にその創成当時黒人の中で広まっていた”Black Is Beautiful”のフィーリングにしっくり合う、そんなファッショナブルなヴァラエティ・ショウでした。
