Record Makers’ Rhapsody
vol.6 ARISTA
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しかし、彼の様なVIP(ヤリテ)が放っておかれる筈もありません。電撃的解任の報が瞬く間に業界中に伝わるや、RCA、RSO、アイランド等様々なレコード・メイカーからの共同経営等のオファーが続々舞い込みます。
そして結局彼が選んだのは、アラン・ハーシュフィールドの営むコロンビア映画社傘下のベル・レコードを任されるという話。当時同レーベルは、音楽作りそのものはポップでヒットも良く出していましたが、シングル偏重型でアルバムの売り上げにそれがつながらず、経営難に苦しんでいました。アランの申し出は「$10,000,000の資金と現在の保有力タログのすべてをスタッフ付で渡すから、好きなようにやってくれ。アーティストの誰を残してもいいし、切ってもいい。ベルを基に、全く新会社を創ってくれても構わない」というもの。しかも20%の株式付で。良い話でした。
かくて’74年の秋10月、ベルを基にした新会社アリスタ・レコードが創られました。ベルのアーティストは、バリー・マニロウ、メリサ・マンチェスター、ベイ・シティ・ローラーズ(英)らのほかはほとんど切っての新出発でした。
コロンビアにいたころからポップなヒット曲制作を第一義としてきたクライヴ。そんな彼の目はまずバリーに注がれました。彼は、もうすでに出すばかりになっていた2ndアルバムに、さらにいくつかヒットするような曲が欲しいと求めます。候補曲はスコット・イングリッシュの小ヒット”Brandy”。シンガー・ソングライターに人の曲を力ヴァーしろというわけです。バリーは最初耳を疑いましたが、切られたくなかったため、それに従います。さらにクライヴのアイディアで、スロー・バラッド化されたこの曲は、タイトルも”Mandy”と改められ、リリース(レーベルはBell)。これがみるみるうちにヒットチャートを駆け昇り、ついにNo.1へ。バリーはスターダムへのしあがり、新会社も幸先良いスタートを切ったのです。
<つづく>
