Lou Rawls……Dig! At Monterey

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

festival

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“何か”が変わろうとしていたのは確かだったのでしょう。第2次世界大戦後に生まれた子供達にとっては一番好奇心が強い時にロックンロールを知り、ルーツとなるR&Bも人種的なアレルギーをそれほど感じずに楽しめる人が増えつつありましたから(そうでない人もそれなりにいましたが)。

とくにヒッピー・カルチャー、フラワー・ムーヴメント、サイケデリックな匂いがぷんぷん漂う1967年のモンタレー・ポップは、よりいっそう”フリー”なフィーリングがベースに感じられたといわれます。

にもかかわらず、とどのつまりはロック系中心(要するに白人系)の集いだからと、黒人にはちょっと敬遠するような空気も、事前にはあったとか。公民権法成立に伴い、環境面は飛躍的に整ったとはいえ、’60年代後半当時、白人による黒人の差別はまだまだひどいものでしたからね。

そんな雰囲気を吹っ飛ばしたのは、初日金曜夜のルウ・ロウルズでした。ブルーズ・シンガーといっても、ジャズ寄り、繁華街のナイト・クラブがしっくり合う人でしたから(後にフランク・シナトラに最も近いソウル・シンガーともいわれるくらい)。出演陣のトップをつとめたソフトなポップ・ロック・バンド、アソシエイションですら、外しちゃったかなというムードの中、9人編成のビッグ・バンドを従え、現れたとしたら、どうみてもフツーお呼びでなさそう。なんですが、そうはならなかったのです。やはり、違う。違うんですよね、超一流のヴォーカリストともなれば。艶のあるしなやかな低い声で、アフリカン・アメリカンの日常的生活を赤裸々に描くモノローグと歌は、ストレートに若い白人達の心をとらえます。とまどいの中で始まったショウも、終わった時は大歓声に包まれていました。

フェスティヴァルが文字通りすべての面でフリーな”祭”となったのです。<つづく>

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