Jimi Hendrix……Fire At Monterey

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

festival

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ジミ・ヘンドリックスはシアトル生まれのそもそもは米国人。けれど、芽が出たのは、英ロック界で。英国人2人とジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスというバンドを組んでからでした。英国内においては、1966年のデビュー・シングル”Hey Joe”以来実に3曲連続トップ10ヒットを放ち、即、ブレイクアウト。しかし、米音楽シーンではまだどうなるかわかりません。そんな時、ふってわいたのがモンタレー・ポップ・フェスティヴァルへ出る話。主催側は、なんとポール・マッカートニーに彼の事を薦められ、決めたんだそうな。

3日間の最後の日曜、’67年6月18日の夜、音楽史に深く刻まれるそのパフォーマンスは行われました。

話は、共に”英”ロック勢としてやって来たザ・フーとバックステージで交わされたやりとりに端を発します。なんでもその出演順で揉めたらしく。結局折り合いがつかず、コイントスで下し、先に出たザ・フーが、場を荒らしたのです。「すべて終わりだ」というメッセージと共に始まったラストの曲”My Generation”で。まずは煙爆弾投下、ピート・タウンゼントがギターを叩き壊し、しまいにはその日、すでに3本もスティックを折っていたというキース・ムーンが、ドラムを蹴っ飛ばして締めくくられました。人によっては、「まるでテロリストが来たかのようだった」と感じるくらい、刺激的だったとか。

かたや、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスは、ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズのイントロデュースで、舞台上へ。ボブ・ディランの”Like A Rolling Stone”を含むショウは、彼の類い稀なパフォーマンスと共にエキサイティングに進められます。サウスポーのポジションで、且つ上下逆に構え、時に後へ回し、または歯で、あまつさえでんぐりがえりしながら弾くそのギター・プレイは、前評判にたがわず衝撃的だったでしょう。そしていよいよ、クライマックス。トロッグスなどで知られる”Wild Thing”のカヴァーで、それは起こりました。いやというほど御得意の”フィードバック”アクションをやってのけた後、そっと床に横たえたギターへ、ロンソン・ライターの詰め替えオイルをぶっかけたのです! 彼はそのギターに口づけし、後はもちろん火をつけるだけ。もはや誰も止められません。折しもそこにいたすべての人が、まるで神へのいけにえの如く、ギターが燃やされるのをただじっと見つめるしかありませんでした。そして、正にその時、モンタレーはロックのメッカになったのです。<つづく>

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