Monterey Pop Festival

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

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サマー・ロック・フェスのルーツはいったい何でしょうか? 遠い目で語る人が多いのは、ウッドストック。けれど、それがすべての始まりだった、わけではありません。とはいえなんでも辿ればいいってもんでもなし。今のロック・フェスのモデルとして頷けるようなものでなければ……。

となったらやはり、モンタレー・インターナショナル・ポップ・フェスティヴァルですね。 既にじわじわ来つつあったフラワー・パワー、ヒッピー・カルチャー、サイケデリック・ムーヴメントの流れにのっかって、ロック系野外フェスティヴァル・ブームの導火線に火をともしたのは、1967年6月16、17、18日、米カリフォルニア州モンタレーで行われたそのイヴェントでした。

むろん、モンタレーが初のロック・フェスティヴァルだったわけではありません。同じ年の1月にサンフランシスコのゴールデン・ゲイト・パークで行われたヒューマン・ビー・インは、感覚的にはちょっと異なりますが、とりあえずルーツの一つともいえるし。わずか1週間前に同じカリフォルニアで行われたファンタジー・フェア・アンド・マジック・マウンテン・ミュージック・フェスティヴァルが、何はともあれ”ロック”系最初の本格的野外フェスといわれたりもします。出演陣にジェファースン・エアプレインらそれらしい顔ぶれも並んでいますし。

しかし、モンタレーは質量共にそれらを凌ぐものがあります。ラインアップの数が32組と多かった事。しかも米国内のアーティストのみならず、英、南ア、インド等、ヴァラエティに富み、文字通りインターナショナルでした。そして正に此の時のパフォーマンスでその名を世に轟かしたアーティストも多かった、という音楽史に刻まれる結果的事実。

たとえばその時、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのヴォーカリストだったジャニス・ジョプリンは、ハスキー・ヴォイスでシャウトしまくるという、凄まじくエモーショナルな歌いっぷりで、1夜にしてスターダムへ。翌日再びマイクの前で「ボール・アンド・チェイン」をシャウトし、鮮やかなそのスター・ヒストリーの第1歩を踏み出します。 英国内でブレイクアウトを果たしていたジミ・ヘンドリックスが、母国凱旋御披露目パフォーマンスを行い、ロック・ファンの目を釘づけにするのもまたモンタレーでした。<つづく>

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