Record Makers’ Rhapsody
vol.5 ATLANTIC
-2-
1953年、兵役中のハーブ・エイブラムスンの代わりに雇われたジェリー・ウェクスラーは後に語っています。「アーメット・アーティガンがレイ・チャールズの声に惚れちゃったんだ。で、レーベル移籍料に$2,000も出したというわけ。でもそれは高い買い物じゃなかった」。アトランティックの良いところは、感覚的に新しいものを拒まなかった点にあります。当然良いものをわかる耳が備わっていての話ですが。そして、正に選ばれたアーティストにはやりたいようにやらせていました。レイも言っています。「ウェクスラーとアーティガンは切れものだった。歌を書いたといえばいつでもレコーディングにとりかかれたし、じゃましてほしくない時はすぐ消えてくれたからね。初めのうちはいくつか歌ってもらいたい曲をもってきたりしたが、歌いたくないといったらすぐひっこめたし」。’50年代後半当時、フツーはありえないそんな好環境で、彼独特のソウル・ミュージックは生まれたのです。
’67年、黒人女性最大のスーパースターへとのしあがるアリサ・フランクリンも同じ。コロンビア・レーベルで6年間伸び悩んでいたようなアーティストに目をつけたという点自体大変な事ですが、そんなアリサの潜在的な力を引き出すため、アーシーな音をつくっていた米南部マッスル・ショールズのフェイム・スタジオでレコーディングするようにした事がしっくりはまりました。むろん、オリジナル曲中心。アレンジメントも彼女自ら弾く強いタッチのピアノを基にするなど、アリサならではのエモーショナルなゴスペル色を目一杯前面に押し出すべくカが注がれました。ポップなスタンダード曲中心に売り出そうとしていたコロンビアと異なって……。そして、それが結果的にアリサを新世代のクイーン・オブ・ソウルにまつりあげる事につながります。
そんなわけで、かたやスタックスと配給権契約を結び、ニューヨークと南部音楽界を繋ぐライン(大都会のアーティストもレコーディングは”南”で行う流れ)をつくったアトランティックは、個性的な”ソウル”ファクトリーとして第一歩を踏み出したのです。<つづく>
