Reggae

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

Reggae

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というわけで、今も猶連綿と続くレゲエ・シーン。我が国でもそれなりに高い人気振りをみせています。ショーン・ポール、ダイアナ・キング、C.J.ルイス、スノー、ジャネット・ケイ、ビッグ・マウンテン、アスワド等、アルバムが10万枚以上売れてしまうアーティストもいるほどです。しかし、そんな風になったのは、ジャネット・ケイの『LOVIN’ YOU』が当たった’91年あたりから。それまでは、サード・ワールドの’82年の『ラヴ・アイランド』が10万枚売れ、驚かせたくらい。なんとあのボブ・マーリィでさえ、一番売れたものが7000枚ほどという寂しさでした。レゲエは、マニアックで売れないものの代名詞だったのです。ミリー・スモール、デズモンド・デッカー、ジミー・クリフ等、英・米のヒットチャートにのればもちろんリリースはされましたが、初めのうちは、R&Bとカリプソの中間的音楽としか称されず。’70年代半ばになっても、“レゲエ”という片仮名表記すらしっかりとは決まっていませんでした。しかし、主としてロック・ファンの間からじわじわと浸透化。静かなるブームの中、街にもちらほらレコード・ショップ、グッズ専門店、ダンス・クラブなどが見られるようになります。

日本人ミュージシャンも、’80年前後くらいから、上田正樹始め、ペッカー、フラワー・トラベリン・バンドとそのヴォーカリスト、ジョー山中等、レゲエをとりいれるアーティストが現れます。’82年、クラブ・ピテカントロプスエレクトスをベースとして世に出たルードフラワー、後のMUTE BEATが、本格的なハシリか。さらにランキンタクシー等、日本産のアーティストが続々現れます。日本人ながら、ジャマイカで活路拓くNAHKIがその最たるものといえるでしょう。ただし、彼がなんとかなるのは、’90年代入りしてから。それはまた、’85年始動の東京スカパラダイスオーケストラも同様。TV-CFにその姿を現してからようやく認められたとも。

とはいえその後、ファッション、またはライフスタイルとして入るマニアックに熱狂的なファンが年々増えていったのです。’85年以降一時毎年行われた”ジャパンスプラッシュ”が万単位規模のコンサート・イヴェントとなり、びっくりしたのもその頃。かつて、ジャマイカ系音楽の英レコードメイカー”トロージャン”のスター大挙動員来日イヴェントを数百人の中で楽しんだ私としてはもう感無量でした。嘘ですが……(^.^)。さらに’95年以降横浜で毎年行われている”レゲエ祭”も、近年楽に万単位動員するようになりました。そして21世紀入りしてからも、三木道三、MEGARYU、湘南乃風と、”ジャパレゲ”のスターが次々生まれています。今やわが国は、全世界有数のレゲエ消費国といえるかも。ほんとうに楽しんでいるかは別として……。

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