Reggae

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

Reggae

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そもそもはダンス・ミュージックの流れにのったものでした。しかし、ラスタファリアニズム(マーカス・ガーヴェイがとなえた宗教的性格の強いアフリカ回帰主義運動。1966年、ジャー=神と崇め奉られるエチオピア国皇帝ハイレ・セラシェがジャマイカへ訪れたあたりからピークを迎え、社会的現象となる)と結びついたものが多く現れるにいたって、レベル・ミュージック(反逆の音楽)の性格をもつようにもなります。そういったルーツ・ロック・レゲエのリーダーシップをとったのが、ボブ・マーリィでした。

そのかたわら、’72年、ジミー・クリフ主演の映画『ザ・ハーダー・ゼイ・カム』も公開、鮮烈な衝撃がもたらされます。レゲエは広く音楽界に知らしめられることに。英・米のミュージシャンも目をつけるようになります。ジョン・レノンは、「’70年代はレゲエの時代になる」と予見。エリック・クラプトンの歌う、ボブ・マーリィの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が米No.1ヒットに。ローリング・ストーンズも自ら営むレーベルにピーター・トッシュを迎えいれるなど、サポーター役をつとめました。さらにカヴァーはもちろん、アーティスト同士の交流、適宜セッションなども盛んになります。そんなロック・ミュージシャンとのいろいろな交わりが、レゲエの世界的認知に果たした役わりは計りしれません。

ザ・ウェイラーズのプロデュースをつとめたリー・ペリーらのように、サウンド・システムからまろびでたプロデューサーたちは、新感覚の音楽作りをよりいっそう進めます。キング・タビーは、元エンジニアらしく、ミックスダウンの際、ヴォーカルを外す“ヴァージョン”、またはそれにいろいろな音響的処理を施す“ダブ”の技を編み出したりしました。さらにダンスホールのDJのおしゃべり(トースト、またはスカンクという)そのもののレコーディングも。今日一般的なレコーディングで行われるリミックス、あまつさえラップのルーツのようなものを、’70年くらいから既に始めていたのです。カリブ海に浮かぶちっぽけな島のアカヌケナイ音楽等と侮る莫れ。<つづく>

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