Reggae

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

Reggae

-2-

1950年代末~’60年代初め、サウンド・システムのオーナー=プロデューサーたちは、ジャマイカ人ミュージシャンによるレコーディングを始めます。初めはたとえばR&Bのコピーからでした。しかし、それはまともなコピーにはなりません。”パトワ”といわれる訛の強いジャマイカ風英語に加え、シンコペーションはより泥くさく、ビートも後に置かれました。”ン・チャッ、ン・チャッ”というユニークなリズム(RIDDIM)。それがいつしか“スカ”と呼ばれるようになります。

’62年8月6日、ジャマイカは独立国に。スカのもつエネルギッシュな昂まりは、そんな時代性を映しだすものでした。スカタライツを始め、ジミー・クリフ、そしてボブ・マーリィを含むザ・ウェイラーズと、鍵を握るアーティストも続々現れます。ジャマイカで生まれた英国人クリス・ブラックウェルが、渡英後、アイランドというレコード・レーベルを本格化したのもその頃。’64年、全世界で数百万枚売り尽くしたミリー・スモールの「マイ・ボーイ・ロリポップ」のビッグ・ヒットで、ジャマイカ産のオリジナル・ビートは広く世に知られる事となります。ちなみにそれ、当時英国内ではふつう”ブルー・ビート”(という名のレーベルからのリリースが多かったため)と呼ばれました。

’60年代半ば頃、ジャマイカ音楽界のメインストリームは、“ロック・ステディ”に移ります。躍動感のあふれる(せわしないともいう)スカからぐっとテンポを落として、ベース・ラインがよりメロディアスになったもの。無職の”不良”青年ルード・ボーイ(ルーディー)たちに好まれました。

それらジャマイカ産ポップ・ミュージックの洗練発展型”レゲエ”が現われるのはその後、’67年くらい。トゥーツ&ザ・メイタルズの「ドゥ・ザ・レゲエ」からとったといわれるその名が囁かれるようになったのは、’60年代末、デズモンド・デッカー等の曲がヒットしたあたりから。しかし、それがカテゴリーとしてふつうに世界的に認められるのは、’70年代入りするまで待たねばなりませんでした。<つづく>

Leave a comment