Reggae

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

Reggae

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わかっていそうで、わかっていない……かもしれない、ポピュラー音楽語辞典”ホーホッケキョー”。第5回は、Reggae。

ニホンの夏、“レゲエの夏”。そんな駄洒落コピーを目にするようになってから随分時が経ちますよね。一瞬髪を洗っていないんじゃないかと疑われるドレッドロック・ヘアーと、紅・黄・緑の3色を彩るラスタ・ファッションで決め、街を行く人も珍しくありません。もはや我が国でもすっかりポピュラーなものになった、レゲエ。カリブ海に浮かぶちいさな島、ジャマイカに端を発するそれが生まれたのは、1960年代初めといわれます。

’50年代半ば頃、ジャマイカで最も親しまれていたのは、ラテン系音楽……とくにトリニダードのカリプソに似たメントと呼ばれるものと、ジャズでした。さらに若い人の間で熱狂的人気を集めていたのが、ブギ・ウギ/R&B/ジャンプ・ブルースなどのダンス・ミュージックだったとか。

ラテン系音楽は、中南米文化圏の国なのですぐ頷けますけど、殆どリアル・タイムに米国産のポピュラー・ミュージックも親しんでいたのは、当時英国領で英語圏に属していたから。そして、正にその事が、ジャマイカ産音楽に特殊性を与え、世界的発展へ結びつくファクターとなります。即ち、ラテン、アフリカン、アメリカンの文化的クロスオーヴァーが特殊性を。英・米のマーケットと直につながりえた事が、世界的発展をもたらします。

彼らはそんな米国産音楽、ダンス・ミュージックを、“サウンド・システム”(またはダンスホール)と呼ばれる、レコード・ショップ兼青空簡易ディスコティックで楽しんでいました。クルマや路上等にスピーカーをセットし、ニューヨークなどからもってきた最新盤をがんがんプレイ。集まった人たちがそれぞれその場で踊ってしまうというものです。レコードなんか買えないゲットー暮らしの人も然り。まさに、ジャマイカですね。そういったサウンド・システムの流れから、サー・コクソン・ドッドの営むスタジオ・ワン、あるいはまたデューク・リードによるトロージャンの様な音楽的拠点が生まれていったのです。<つづく>

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