HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典
diva
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そんなわけで、ディーヴァとはいったい何? のパート3。所詮、言葉の意味なんてものは漸次変わりゆくものですが、羨ましがれるような意味合いのものほど、誰にでも、何にでも使われてしまい、本来的語義がゆがめられ、安っぽく貶められてしまいがちです。ディーヴァもその典型例かもしれません。それも全く異なってしまえばまだしも、ちょっとだけずれたりしているから、しまつにわるい。ならば、一つ正誤表でもつくってみましょうか。元来の語義”女神”ならぬ、音楽の世界の言葉でのそれとして。
誤 誰にでも使えるが、ホントはR&B系シンガーにしか使わない。
正 誰にでも使ってかまわない。そもそもがオペラ界発祥だから。
誤 歌う人は美しくなければならない。
正 見た目が美しいかどうかは関係無し。整っていれば理想的ではあるが。
誤 デカイ声で歌わなければならない。
正 むろんその限りではない。とはいえそれはある意味当たっているが、あくまでも結果的にそうなるわけで。声がデカイからといって、歌の出来映えそのものがいいとは限らない。
三番目は、ヴォーカルのブラック系シャウトが目一杯デカイ声でガナレばいいんだと思い違いしてしまった日本人ディーヴァ増殖中の’90年代頃に植えつけられたもの。まァ、彼女達本人は唱っているつもりだったんでしょうけどね……ガナッているんじゃなくて。とはいえこの声がデカイというのは、結果的にみるならあながち誤りだともいえません。
正にディーヴァといわれるにふさわしいアレサ・フランクリンなんか、もしも大声歌合戦でもやろうものなら、3対1くらいでも楽に吹っ飛ばしちゃうんじゃないでしょうか(大袈裟?)。実際米VH1の”Divas Live”でもそれらしいパワーを見せつけていましたし。マライア・キャリーなんかはもう軽くいなされちゃいましたから。
ただし、ただたんに声が大きけりゃいいってものじゃありません。当然心地良くなければね。むやみやたらにガナルだけってのはちょっと。あまつさえ音程外しているようなのもいますから。日本人似非ディーヴァにはそういうのが結構多かったりもしました。恥ずかしいことです。しかし、今はもうそのへんのYouTubeアーティストなんかでもそう名のったりしているので、世界的に流れはもはや止められないでしょうけど……。
P.S.
そういえば、ジャン=ジャック・ベネックスの監督初作品としてつくられた’81年の仏映画に、オペラのディーヴァが話の基になったものがありましたね。ホイットニー・ヒューストンでリメイクするという話もありましたっけ。
