Virgin

Record Makers’ Rhapsody

vol.3 Virgin

-A-

熱気球の冒険家として知られるリチャード・ブランスン。彼が、航空会社始め多数の会社を系列にもつヴァージン・グループの1大帝国を築き上げられたのは、熱気球同様、風に乗るのがうまかったからにほかなりません。そしてそのきっかけは、ヴァージン・レコーズでした。

事の始まりは、青年向雑誌“ザ・スチューデント”をつくっていたブランスンが、経営的側面を支えるために1969年にもうけた、レコードの通信販売機構。レコード・ビジネスは初体験だったことから“ヴァージン”と名づけられた同部門がすべての源となったのです。新業務は大成功。やがて、英国中に支店網をもつレコード店チェーンへとふくれあがりました。勢いにのった彼は、オクスフォードに“ザ・マナー”というレコーディング・スタジオを造ります。彼の従兄弟サイモン・ドレイパーが管理人を務め、名エンジニア、トム・ニューマンを置くそのスタジオは、リラックスして良いものがつくれると、大好評。後にポール・マッカートニー等多数のアーティストが使い、知れ渡ります。しかし、それよりも先、そこで運命的出会いがあったのです。それは、有料客“第1号”のバンドにいた若い青年音楽家。ブランスンはその男に音楽的興味を抱きます。そして’73年の5月、自らレーベルをつくって、彼のレコードをリリースしたのです。

マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ』。ここにヴァージンの第一歩が記されたのです。

とはいえそれが売れるかどうかは全くわかりませんでした。9か月かけて28種類の楽器を駆使し、2万3千回余オーヴァーダビングしてつくった、約50分のインストゥルメンタル曲。かつて例のない音世界ゆえに、すでにいくつかのメジャー・レーベルに没にされたものでもありました。もしも売れなければ、せっかくのレコード・レーベルもおじゃんに……。しかし、彼は信じ切っていました。ドレイパーの耳、ニューマンの腕、オールドフィールドの力を。彼自身音楽の事は何もわかりませんでしたが。

そして彼の”賭け”は実ります。ヒットし始めたところで、彼はニューヨークへ。アトランティックのトップ、アーメット・アーティガンと米国内の配給契約締結を成します。なんと$750,000の前渡金を得たとか。アーティガンも、元を取るべく、ウィリアム・フリードキン監督の新作の映画『エクソシスト』(’73年)のオープニング・テーマに推薦。それが効きます。同映画は世界的にヒット。それに伴い、マイク・オールドフィールドによるそのアルバムも最終的に全世界合計1千5百万枚突破のベストセラーとなったのです。
<つづく>

Leave a comment