R&B

HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典

先週号からのつづきです……

R&B

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そんなわけで、お笑いまでもがR&Bを歌うようになる我が国の’70年代音楽界ですが、ついにはお茶の間でビッグ・ヒットが生まれてしまいます。それが’79年、ドリフターズのTVショウのコントで火がつく”ヒゲダンス”のテーマ曲でした。実はこれ、そもそもはR&Bスター、テディ・ペンダーグラスの”Do Me”のベース・ラインを基につくったもの。つまり、みんな笑いながらそれとは知らずにR&Bに親しんでしまったというしだい。ま、インストゥルメンタルのBGMだから、歌が当たったわけじゃないんですけどね。
そういえば、’70年代の後半ともなるとそろそろジャズ以外の黒人の音楽をよりどころにした日本人アーティストも表舞台に現れつつありました。憂歌団を始め、上田正樹等関西勢、正にその血をひくジョー山中などが続々シーンに登場。グラハム・セントラル・ステイション、さらにブラザーズ・ジョンソンと、正真正銘ブラックのグループに一時在籍してしまう宮本典子なんてシンガーも現れるしまつ。大橋純子等、かなりR&B色の濃いライヴ・パフォーマンスを演る人も現れます。バックもしっかりしていましたし、時にマイクを外し、素の声で歌うR&Bクラシック”Ooh Poo Pah Doo”なんか、日本人らしからぬファンキーな歌いっぷりでした。けれど、濃い。ゆえに、引く客も。どちらかというと、そのたおやかな声と歌のうまさにゆったり酔いしれたいファンが多かったからです。心は”ソウル”でもね。そのへんがまだ今一歩でした。

ともあれそれも’90年代頃からだんだんとなじみ、やがてメインストリームといわれるまでになります。今や、日本人が歌うのもすっかり異和感はなくなったよう。アフリカン・アメリカン<米黒人>の生んだものだからって、日本人が演っていけないという法はないとばかりに。音楽性だけをみれば、たしかにその通りかもしれません。肌の色が違うから、R&Bの心はわからないし、物真似のにせものでしかない、ともいわれますが……。そもそもが黒人大衆音楽をくくるものなので、使い方も変ではありますけどね。とりあえず民族の固有の音楽というほど濃いものでもなく、ポピュラー音楽系の一つですから、ジャパニーズ・ヴァージョンみたいなとらえ方であればまあ目くじら立てることでもないかと。ま、そうはいっても、アフリカン・アメリカンの暮らしを基に生まれたものですから、ただたんにまねるだけでは、寒い。”日本製”の枠からはぬけだせないでしょう。世界中の人に”R&B”と感じられるか、さらにそのアーティストとして認められるかといえば、否! 本場で生活しながらその真髄をとらえるか、素直に和製ポップ歌謡R&B風味と自覚すべし。すべてはそれから。

R&Bの大御所ルーファス・トーマスも生前認めています。R&BとC&W、黒人と白人のトップ・スター同士が珠玉のコラボレイションを果たした夢のオムニバス作”Rhythm,Country and Blues “のメイキング・ビデオの中で。「Bluesに色はない。黒人達と同じ様に貧しくて辛い暮らしをしていれば、白人達だって歌えるんだよ、Bluesが」と。<了>

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