STAX / VOLT

Record Makers’ Rhapsody

先週号からの続きです……

vol.2 STAX / VOLT

-2-

同社初のR&Bアーティストは、ヴェルトーンズ。しかしその名を世に知らしめたのは、プレスリーのおかげでサンレコードを追い払われたルーファス・トーマスと当時未だ17歳だった娘カーラのデュオでした。カーラは後に一本立ちもし、“クイーン・オブ・ソウル”と称えられ、黒人女性有数のスターヘのしあがります。そしてこの父娘デュオは当時、同社に最初の多大な利益をもたらしました。’60年にそのスタックス初レコーディング曲”Cause I Love You”をアトランティックが高評価、$1,000の前渡金とわずかなロイヤリティで同デュオの5年に亘る全国配給契約を申し出てくれたのです。ちっぽけな田舎町のインディーズにとっては願ってもない話でした。ところがこれには落し穴があったんですよね。契約上、なぜかその後スタックスの作る全作品の発売権が同条件でアトランティックに。Billboard在籍時新語”R&B”を生み出したことでも知られる重役陣の1人でプロデューサーのジェリー・ウェクスラー自身気づかなかったといいますが、「スタックスに不利な条件で契約してしまったことは確か。アトランティックはそれから制作費を1セントも出さずにただ送られてくるテープを製品化するだけで良かった」。そのうちに、スタックスでアトランティックのアーティストがレコーディングするようにもなりました。ウィルソン・ピケットらはそこからトップ・スターにのしあがる術を身につけますが、それが両社の信頼に亀裂を生みます。アトランティックに騙されて、いいように使われているだけだ…と。

というようにいざこざはあったものの、アトランティックの配給網に乗っかって、スタックスの音は全国的に知れ渡ることになりました。初のハウス・ソングライター、デイヴィッド・ポーターを始め、後にアイザック・ヘイズら超A扱の作曲陣を抱え、ヒットもどんどん出るようになります。むろんその“音”を作ったのは、ロイヤル・スペイズ改めマーキーズの面々と、セッションで加わったブッカー・T・ジョーンズ。そしてそのベスト4が集うブッカー・T&ザ・MGs(メンフィス・グループズ)でした。カントリー、ジャズ、ブルース等南部のいろいろな音楽性が交わったクロスオーヴァーな音。彼らはそんなソウルフルで粋な音をひっさげて、ほとんどのアーティストのバックをつとめます。そのかたわら、そもそもはB面に使おうとその場しのぎで作った曲「グリーン・オニオンズ」を始め、自らヒットも放ってもいたわけで。ギタリストのスティーヴ・クロッパーいわく「音作りについてはテンポからなにからすべて主導権を握っていたな」。そして、それがスタックスの“音”となりました。<つづく>

Leave a comment