HAWHOKKKEKYO 真説大衆音楽”洋”語辞典
先週号からのつづきです……
R&B
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Rhythm and Blues……コトバとしてフツーに使われるのは1940年代末からですが、くくられる音楽性自体はその少し前からすでにありました。ジャンプ(エレクトリック)ブルーズ、ジャズ、ゴスペルなどをベースとした、米国生まれの黒人大衆音楽を表します。要するに、コッテコテのブラック・ミュージック。
ならばはたして日本人が演るものもそう称していいのでしょうか? そもそもが我が国の昔の音楽人は、R&Bをどうとらえていたのかしらん。というわけで、少し日本人とR&Bの関わりについて探ってみましょう。
発生時は、R&Bそのものがまだ言語的にさほどなじまず、とりあえずジャズと言われてみたり、後にはやがて兄弟筋(落し子といったほうがいいか)として生まれるロックンロールとひとくくりにされるのが常だったよう。実際、「最近、本場の米国ではなんでもロック・アンド・ロールというジャズが流行しているようだが……」なんて音楽専門誌に書かれていたんですよね。’50年代半ばはおろか、事によっては’60年代入りしてさえ。いくらR&Bをレパートリーとして歌っても、ロカビリアンと呼ばれるならまだよし。時にはなんとジャズ・シンガーと称されたりしました。それまでは、クラシックを除く、シャンソン、カントリー&ウェスタン、ラテン(これも微妙ですが)以外の洋楽、ポピュラー音楽はなんでもジャズでしたから。江利チエミ、雪村いづみ、伊東ゆかり、そして弘田三枝子あたりまで時にそう呼ばれることがありました。たしかにそのレパートリーにもろジャズもあったとはいえ……。そういえば、ライヴ・ハウスの呼称も、当時はジャズ喫茶でしたっけ。
黒人大衆音楽なんざまだマニアックな頃。R&Bよりもロックンロールの方がカッコイイし、みたいなね。むろん全く使われなかったわけでもありませんが、どちらかというとなじみませんでした。
それが自然になったのは’60年代の後半、“和製R&Bの女王”ともいわれた和田アキ子の登場あたりからでしょう。ただね、歌がいいとかつまらないとかは別にして、どっからどう聴いても、それがR&Bだとは思えませんでしたが……。何はともあれ、日本製R&Bの流れがみえたのは、正にそのあたりから。無論、彼女が日本のR&B(なるものがあるとしたら)のルーツではありません。上記弘田三枝子を始め、’60年代一世風靡したいわゆるグループ・サウンズにもたくさんR&B臭いのがいましたから。しかし、歌謡界で積極的にR&Bを“売り”にしたという点でパイオニアでした。ちなみにこの人がレコード・デビューを果たした’68年は、それに先んじて、ぐっとホンモノのブラックに近いキング・トーンズの和製本格派R&Bクラシック「グッド・ナイト・ベイビー」もヒット。日本歌謡界のR&B史に第一歩が刻まれています。そして’70年代初め、クック・ニック&チャッキーが現れ、’73年、つのだひろの「メリー・ジェーン」がヒット、さらに左とん平による「ヘイ・ユー・ブルース」までもヒットチャートへ。コメディアンによるジェイムズ・ブラウンさながらの曲がヒットしたということはもはやお茶の間で“R&B”も大丈夫という証。当時黒人音楽はちょっとねと口ではいいながら、無意識に音楽性自体は受け入れられていたんですよね。けれど、それがそのまま黒人音楽流行に結びつきはしませんでしたが……。<つづく>
