Record Makers’ Rhapsody
vol.2 STAX / VOLT
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あまたあるブラック系レーベルの中で、1960年代米R&Bシーンをリードしたものは? と訊いたら、最も返る答は、やはりモータウンでしょうか。しかし、黒人側からみると必ずしもそうとばかりはかぎりません。侮れないライヴァルも多かったんですよね。メンフイスのスタックスはさしずめその最たるものでした。”ヒッツヴィルUSA”のモータウン。ならばこちらは”ソウルズヴィルUSA”と、挑戦的なスロ-ガンを掲げたのもだてじゃありません。ただし、そんな黒人大衆音楽有数の製造所であるスタックスも、実際は白人の姉弟が創設したものでした。
メンフイスで銀行員をしながら、ウェスタン・スウィング・バンドのフィドラーでもあった(エルヴィス・プレスリーも同じ店でプレイしていたとか)ジム・スチュワートが、プロデューサーの道へ一歩踏みだしたのは、’57年のこと。初レコーディングは、メンフィスのDJフレッド・バイラーが歌う”Blue Roses”。借物の器材を使い、妻の叔父の車庫で行われたそう。そしてその曲を世に出す為に、翌’58年、当地の学校の教師だった姉エステル・アクストンに$2500(住居を抵当に借金してつくったとか)を出資してもらって、アンペックスのレコーダーを買い、サテライトというレコード・メイカーをつくったのです。後に同じ名をもつレーベルにクレームをつけられ、スタックス(スチュワート&アクストンの略)と改めるものの、ともあれここに2大R&Bインディーズのかたわれが第一歩を記すことになります。
とはいっても、スタックスは初めから黒人音楽専門をめざしたわけではありません。スチュワートはそもそもカントリー系ですし。それが変わったのは、2人がレイ・チャールズを聴いてからだったと伝えられています。以後同社初の正式専属契約アーティストで、アクストンの息子率るロカビリー系白人インストゥルメンタル・バンド、ロイヤル・スペイズも、R&Bへ傾いていったそうです。それに伴い、営業所も初めブランズウィックに置かれていましたが、’60年からはメンフイスの黒人居住区、東マクレモア・ストリートの古い映画館へ。映画館のスピーカーは、バツグンのスタジオ・モニターになりました。ロビーにあったお菓子の売場もレコード・ショップに衣替え。映画館はメンフィスの1大音楽拠点に生まれかわります。そしてその巨大広告看板に描かれたのは、“ソウルズヴィルUSA”のスローガンでした。<つづく>
