Hit Chart Elegy 音楽番付哀歌
まずはU.S.A.、Billboardにまつわる哀しいお話からまいりましょう
Movement 1 “Curse Of Al???” : Blood, Sweat & Tears
You’ve Made Me So Very Happy : 2 (1969.4.12 – 4.26)
Spinning Wheel : 2 (1969.7.5 – 7.19)
And Wen I Die : 2 (1969.11.29)
ブラッド・スウェット&ティアーズ。そもそもはかのアル・クーパーが核になってつくったグループで、1stアルバムも出来映えはそれはすばらしいものでした。しかし、見解的な食い違いなどもあり(メンバー仲の悪かったことをかつてアル自ら私に語ってくれました)、ヴォーカルとして弱いとされた彼が外れ、仕切直しとなった2ndアルバム”Blood, Sweat & Tears”からの1stシングル・カット曲『ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー』からそのなんとも不思議な出来事が始まったのです。
けんか別れしたにもかかわらず、1stシングルに選ばれた曲は、アルがフレッド・リプシウスと共に再編曲し、歌っていたというブレンダ・ハロウェイの’67年のヒットのカヴァー・ヴァージョン(むろんヴォーカルはもうデイヴィッド・クレイトン・トーマスに替わっていますが)。結果的にみるなら大成功といえるでしょう。しかし、ビルボードHOT100の1969年4月12日付最高第2位にランク、3週連続キープしたものの、ついにNo.1にはなれずじまいで、ダウン。後一歩で涙をのみました。じゃまをしたのは、フィフス・ディメンションの”Aquarius / Let The Sunshine In”。しかたがなかった……んでしょうかね? ライヴァルがこの年一番のビッグ・ヒットだったわけですから。でもお話はここからです。
ついで、同アルバムからの2ndシングルとしてHOT100を上がったのはもとよりNo.1は太鼓判といわれていた本命曲「スピニング・ホイール」。ところがこれもまるでコピーを見ているかのように3週連続2位に止まった後、やはりトップを獲れずにダウンしてしまいます。じゃまをしたのは、ヘンリー・マンシーニの『ロミオとジュリエット』愛のテーマ”Love Theme From Romeo & Juliet”と、ゼイガー&エヴァンスの”In The Year 2525″でした。これらもまた’69年の”顔”ともいえるヒット曲……。
そして、なかばあきらめつつも願わくば……と、リリースされた3rdシングル「アンド・ホエン・アイ・ダイ」も、なんと最高第2位までのしあがる大健闘だったのですが(これは逆に予想外)、やはりトップは獲れませんでした。最高至近距離に近づいたぶんだけ、傷は深い。ちなみにそれまで3週連続トップにいすわっていた宿敵(!)フィフス・ディメンションのメンバー同士の結婚ソング”Wedding Bell Blues”は見事倒してかたきを討ったのですが、ふってわいたようなビートルズの”Come Together / Something”のカップリング・シングルにさらわれています。しかもこのシングル、それまでは1曲ごとにカウントされており、すでに最高第2位にランク後下降しつつあった『カム・トゥゲザー』を、なんとこの週からわざわざ両面の数値を合計するとルールまでも変えてしまい、『サムシング』と統合化し、獲らせるべくして獲らせたNo.1。もうね、運が悪いにもほどがあります。地団駄を踏む悔しさだったでしょう。3曲が収められたそのアルバムはさすがに7週間第1位に輝き、セールス4百万枚突破、グラミー賞までかちとっていますけどね。こんなにも良い曲ぞろいだったんですから、あたりまえです。ともあれそれ以後彼らには悔し涙を拭うチャンスは訪れていません。
これはもしかしたらアルの呪いかも……。そういえば、彼のからんだ曲で、トップを獲れなかったチョー有名曲がもう一つあります……ボブ・ディランの『ライク・ア・ローリング・ストーン』という。ディランもまたシングルのNo.1ヒットが未だ1曲もありません。
しかし、そのくらいじゃまだまだ。さらに、もっと涙を流したというアーティストがいるのです。<つづく>
