Al Kooper

Words Of Wonder

これまでに行なってきた国内外2000人の音楽人インタヴューからおすそわけ

1★Al Kooper 2003.6.14 <Tokyo>

アル・クーパー。知る人ぞ知る、米ロック界伝説のミュージシャンですね。1960年代後半、ボブ・ディランがフォーク・ロックの道を切り拓く歴史的瞬間にそのバックを務め、ジャズ・ロックの始祖的バンドの一つブラッド・スウェット&ティアーズ(BS&T)を作り、マイク・ブルームフィールドらとの『スーパー・セッション』等、ロック史に輝く注目作を残しています。ローリング・ストーンズらとの豊かなる共演歴でもおなじみ。オリジナル自作曲「ジョリー」のカヴァーが我が国のTV-CFに使われてもいます。そんな彼が、59歳にして初の本格日本公演を行う為、我が国をおとずれました。

「どういうわけか、私の曲が日本人の若いファンに受け入れられていると知り、驚いているんだ」と首を捻るアル。とはいえもちろんファンのほとんどは、古くから彼を知る中高年。彼のからんだボブ・ディランの“エレクトリック化騒動”は、今も衝撃的な出来事として胸に刻まれています。1965年のニューポート・フォーク・フェスティヴァルで、ロックの如くエレクトリック・ギターを弾くディランのバックでオルガンを弾き、いっしょにブーイングを受けたという歴史的なエピソード。ただしその話、「それについては、一般的に語られている話と違う」と。「もちろんそう思い、ブーイングをした人も中にはいるだろうけど……。あのときはディランがヘッドラインだった。それならば、通常45分間からおよそ1時間くらい演るものなのに、15分間程で終わってしまったんだよね。というのは、前の日にエレクトリック・バンドでリハーサルしたんだけど、3曲くらいしかまともにマスターできなかったんだ。だから、終わらざるをえなかったわけ。といってもずっと待たされていた客にしてみたら、もっと演れ、となるよね。実際、真相はそうなんだけど、マスメディアで煽られたらもうどんどん尾ひれがついちゃって」。そしてそれ以後、一種の儀式めいたものになったということらしい。何はともあれ、『ライク・ア・ローリング・ストーン』のレコーディングと共に、ディランと絡む共演歴が彼の武勇伝の一つといえるでしょう。

そしてBS&Tではついにジャズとロックの壁を壊します。「僕は嫌われていたから、セッションのたびにいつもケンカしていたよ」とはいうものの、実に楽しげに新感覚のロックがかたちづくられました。「若い頃、音楽的にはずっと挑戦的だった」と自ら言う様に、何をやるにも先駆的存在。彼の後に道は広がっていきました。クラシック、R&B、ポップ、カントリー、ジャズ、ゴスペル、そしてブルーズ……幼い頃からずっと色々な音楽を体験してきたといいます。6歳の頃、ピアノを弾くようになり、やがてギター、そして歌も。「広く親しんできたからね。自ら演るときにも極自然に融け合うんだろうな」。

歌は少し難があるかもしれませんが、類い稀な麗しさをかもしだすメロディー・ラインと、ジャズのエッセンスを含むソウルフルなキーボード・プレイ、シャレたアレンジメントの鋭いセンスに、一頭地を抜くものがあるのも、正に音楽好きだったからに違いないでしょう。誰の為にプレイするのかという問いにも間髪入れずにこう答えたくらいですから。「私自身の為!」と。ただし、「コンサートは、来てくれたお客さんの為に90%、残り10%は私自身の為に演る。自分の音楽に共感してくれるのは嬉しいものだから」ともつけくわえています。実際行われたコンサートもその言にふさわしく、老若男女和気藹々と楽しめるものでした。そもそもが、”自ら”の為と言えないものに、真実味なんぞ宿るものでしょうか? だからこそ言えるのです、ほんものと。

<共同通信文化部寄稿インタヴューのオリジナル一部改変稿>

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