Record Makers’ Rhapsody
Prelude
もしもRCAが無くとも、エルヴィス・プレスリーはスーパースターになったでしょう。しかし、あれほどのヒットを放ち、パワーを持ちえたかどうか? それはわかりません。ただもしあのままサン・レコードに止まっていたら、カール・パーキンスよりも少しファンが多いくらいのスターで終わっていたかも。
レコード・レーベル……主として、ミュージシャンのつくった音楽芸術作品を商品化し、世に送り出す制作発売会社のこと。プロデューサー(A&R)が見つけたアーティストを育て、やがて“卵”を産ませる、いわば養鶏業のようなものですね。アーティストにとっては、契約金および制作費などを出してくれるスポンサー。ただし、スターになってからは、儲けをむしりとる悪大名の如く言われることも。
かつて英米音楽界ではいわゆるカラーを持つ、つまり音楽性に独自牲のあるレコード・レーベルがたくさんありました。そんなレーベルの歩みをふりかえりながら、ヒット・ソング、アーティスト、海外音楽業界のインサイド・ストーリーをひもといてみようと思います。とりあえずはそのアウトラインからまいりましょう。
史上初のレコード・レーベルは、蓄音機の発明者トーマス・エジソン自ら、1888年、発明後11年目につくったノース・アメリカン・フォノグラフ社。ドイツ人エミール・ベルリナーの平円盤式蓄音機発明の次の年でした。翌’89年、ノース社のワシントン地区営業免許を取り、本格的なレコード・レーベルの第1号ともいえるコロンビア社設立。初レコーディング作は、1890年発表のマーチ王ジョン・フィリップ・スーザの米国海兵隊バンドによるものでした。ついで1901年、’95年にドイツでベルリナー・グラモフォン社をつくったベルリナーの出資等も得て、RCAの前身的会社ヴィクター・トーキング・マシーン杜設立。
以後、両社の競合と共に、米レコード・ビジネスもかたちづくられます。まずは、円筒式のいわゆるろう管時代。ついで78回転平円盤式のSP盤、そして1948年コロンビア社発表の33回転式LP盤、さらに翌’49年RCAヴィクター社発表の45回転式ドーナツツ盤と、フォーマットが整い、黄金期を迎えることになります。
史上初のミリオンセラー盤は、1903年ヴィクター杜発表のイタリア人歌手エンリコ・カルーソの歌うオペラの「道化師」。やがて、ブルース、ジャズ、ミュージカル、C&W、フォーク、R&B、ロックンロール等いろいろな音楽的発展に従い、いろいろなヒットと共に、いろいろなレコード・レーベルが世に現れます。EMl、フィリップス、デッカ、キャピトル、アトランティック、マーキュリー等枚挙に暇がありません。そんな1950年代前につくられたもののいくつかは、以後統廃合を重ね、巨大化したものもあり、飲まれたものもあり。ワーナー・ブラザーズとアトランティックとエレクトラ+アサイラムの大同団結化に驚かされたのも今は昔。もはや何があってもおかしくないギョーカイになりました。というわけで、次からはそれぞれのレコード・レーベルごとにそのストーリーを探ってまいりましょう。
<小学館FM Recopal誌自筆連載コラムの改変稿>
